臥遊  PHOTO NOIR et BLANC  

クラシック音楽




クラシック音楽は不思議な音楽です。楽器も昔と同じ構造のものを使います。ジャズのスタンダードナンバーも同じですが、昔作曲された同じ曲を繰り返し様々な演奏者が弾き、引き継がれていきます。楽器も二百年、三百年前の楽器が珍重され実際に今でも演奏に使われることは珍しくないことです。

シンセサイザーが登場した頃、あらゆる楽器の音が出せますから、これらの古い楽器はいずれなくなると思われていました。実際シンセサイザーや電子ピアノを使ってジャズやクラシックの演奏が行われ、好評を博したこともあります。同じ音はおろか、より迫力のある音が整然と出せるのに、クラシックやジャズは相変わらずオリジナルの楽器を使った音が愛されています。

これはいったいどういうことなのでしょうか?

シンセサイザーの音はどこか無機質で冷たい感じがします。そこには確かに演奏者の個性はあるのですが、指揮者や演奏者、その楽器それぞれの息遣いや微妙な音の違いなど人や物の存在の気配が感じられないのです。繰り返し聞くと、その差はもっと歴然としてきます。恐らく人が長い間、聞いてきた自然界の音であると同時に、世代を越えて弾き続けられ熟成されてきた楽器の奏でる音、そしてそれぞれの演奏者の技巧と情熱、それらが一体となって織り成す音は一回限りの音でもあると同時に、また聞きたくなる音でもあります。

古い城のホールで古楽器を使って演奏会が開かれたりします。またある決まった古いホールでしか録音しない楽団もありました。これらの古い組み合わせは最新のスタジオと楽器を使った音より本当に良いのでしょうか?非の打ち所のない音より、どこか個性的でそこでしか聴けない音があるからだと思います。

古い曲、楽器、演奏スタイル、この繰り返しに人間は平和や安心や期待を感じるのではないでしょうか。それは通りすがりの道の脇にある大木がいつも同じ場所にあり、季節の移ろいの中で芽を吹き、花を咲かせ、実をつけ、秋には紅葉し、冬には葉を落とし、成長繰り返してしていくことで、私達が感激したり癒されることと似ている気がします。

写真の世界で同じことを実現できないだろうかと私達は考えました。           LPレコードのアルバムは表裏凡そ10曲前後です。これはコンサートの休憩を挟んだ前半、後半を録音するのに丁度合っています。このコンサートになぞらえて写真の6×6のフィルムなら12曲と言うところでしょうか。

昭和時代のマニュアルカメラで一枚一枚を露出や構図を検討しながら一度しかない瞬間を撮り、そして一齣のフィルムをその時の情景を思い浮かべながら自らが引き伸ばし現像する。このようにしてできた写真はクラシックそのものだと思います。

写真芸術におけるクラシック音楽のような存在をモノクロームを飾ることで楽しんでは如何でしょうか。